2017年


由布院の歴史について 万葉歌石碑めぐり① 2017/03/30

投稿日時:2017/03/30 13:41


今日の湯布院は春霞といったお天気です。高知などでは1週間遅れで桜の開花宣言が発表された様ですね。
湯布院の桜はもう少し先になりそうです。
春の高校選抜野球もベスト4が出揃いました!頑張れ熊本!秀岳館!

さて、現在の湯布院には年間観光客数410万人という大勢のお客様が訪れてくださっています。
湯の坪街道を主に、沢山の国内外観光客の方々が散策を楽しんでいらっしゃいますが、《由布院》の歴史についても興味を持って頂きたい!という事で本日は湯布院の歴史についてお話したいと思います。

湯布院は山間にある、温泉に恵まれた(田舎町)です。現在でも農業の従事者も多く(兼業が増えていますが)観光地化されたと言いましても緑多い土地と言えます。

その湯布院ですが、石器時代、縄文弥生の昔から人々が暮らす土地であったようです。
由布院や湯布院の「院」の意味は律令制の時代、この地に正倉院のような倉庫があったからだと言われています。
又、万葉時代の湯布院は大分から大宰府に至る官道の重要な宿駅でもあったそうです。

由布岳は、その昔『木綿の山(ゆふのやま)』『遊布麻山』とよばれていました。
木綿(ゆふ)とは楮(こうぞ)のことで、当時由布岳の麓の村には沢山の楮の木が生育しており、その皮を採り衣料や和紙にしたことが山名の由来とされたと(豊後風土記)に記述されています。

「豊後富士」ともよばれ、美しい姿の由布岳は、万葉集にもいくつかの歌が残されています。

《恋ひつつも 居らむとすれど 遊布麻山 隠れし君を 思ひかねつも 》巻14-3475
※恋しく思いながら じっと待っていようと思うけれど 由布の山を越えて行ったあなたのことを思うと待ちきれないでいます。

この歌の石碑は由布院駅にありますよ。ぜひ見つけてみてくださいね(*^_^*)
他にも由布市内に4箇所歌碑が存在しています。またの機会にお話したいと思います。



Page Top